しおりりばーしぶる(8)                    

しおり01
――雨上がりの朝。
遅い秋の雨は冬の扉を開き、朝からひんやりとした空気が街を包んでいた。

「うー、さむさむっ」
ときどき冷たい風がスカートをかすめて吹き抜けていく。
うー、1日で急にこんなに冷え込むなんて。もう少し厚着してくればよかった。
「でね……」
「……?」
聞き覚えのある声を耳にした気がして、私は反射的に身構えた。
この声は…。
「うげっ」
私の前にカップル、そのひとつ前に女子高生っぽい3人のグループ。
さらにその前にいたのは……クラスメイトのふたり組。
伊藤詩織と加藤真由美。
やだやだ。あいつら……変態軍団に関わると決まってロクなことがない。
経験上、間違いないわ…。
私は慌てて前のカップルの陰に隠れて、そーっと変態軍団の様子をうかがった。
ふたりとも私には気付いていないみたい。
こちらに横顔を向けて、ずっと顔を見合わせながら話し込んでいる。
あれ? そーいえば、ふたりだけね。
変態軍団の親玉がいないじゃないの。
学校じゃいつも3人で変態パンツ男を追いかけ回している姿しか見たことがなかったから、
見慣れているはずなのになんだか新鮮に映った。
行列のざわめきに混じって、ふたりの話し声が聞こえてくる。
別に大して興味もなかったけど、私は待ち時間の退屈しのぎに聞き耳を立ててみた。
「お勧めはね〜、チョコバニラ&ストロベリーと、フレッシュフルーツ&ホイップカスタードなんだって」
「へえ〜。詩織ちゃんも食べるの初めてなんだよね? 雑誌とかに載ってたの?」
「ふふっ、昨日の夜ネットで調べたの。種類がたくさんあるから迷っちゃうかなって思って」
「だよね、これだけあったら絶対目移りしちゃうよね。チョコバニラ……あっ、これだね。420円」
「見て、スペシャルメニューだって。このデリシャスマンゴー&バニラジェラートって美味しそう!」
……じゅるり。
名前を聞いただけでヨダレが出てきちゃったじゃないの…。
でもいい情報を聞いたわ。
前もってお勧めをリサーチしておくとは……なかなかやるわね、伊藤詩織。
「真由美ちゃん、決まった?」
「う〜ん、お勧めのどっちかにしようかなあ。でもどっちにするか迷っちゃうね」
「ふたつとも買っちゃう?」
「そんなに食べれないよ〜」
「じゃあじゃあ、ふたりで半分こしようよ。そしたらお勧めのをふたつとも食べられるし!」
「あっ、そうだね! 詩織ちゃん冴えてる!」
「ふふふっ、じゃ〜決まり!」
くっ。
一度に2種類も味わうなんてズルいんだから、私も混ぜなさいよ!
……と言いたい気持ちをグッとこらえた。
こんなことなら、ふたばでも連れてくればよかったわ。
でも。へえ。ふうん。
私はちょっと意外に思った。
伊藤って、友だちの前だとあんな顔して笑うんだ。
昔からどこか作り物みたいなおすまし顔ばっかり。そんな印象が私にはあった。
昔から……そう、あいつとは2年生まで同じクラスだった。
あの頃の伊藤詩織といえば、人当たりもいいし、他の連中よりちょっとませたところもあって、
もちろん私ほどじゃないけど――クラスでも割と人気があったように思う。
友だちも多くて、私ともそこそこ仲が良かった覚えがある。
それが今のクラスでまた一緒になったときには、変態軍団の一員に落ちぶれていたけどね…。
飽きもせず佐藤を追いかけ回して、あんなパンツ男のどこがいいのか分からない……
ま、まあちょっとは分からないでもないけど……何が楽しいのかしらね。

そうこうするうちに、私の鼻にほんのりと甘い匂いが届くようになった。
ああっ、あいつらのことなんて考えてる場合じゃない!
早くどれを注文するのか決めなくっちゃ!
メニューはこんなにたくさんあるのに、選べるのはひとつだけ。なんて残酷なの。
とぼしいお小遣いと、抑えきれない食への探求心のせめぎ合いはいつも私を悩ませる。
お互いのクレープにパクついては盛り上がる伊藤たちをうらやましく思いながら、
私はふたりの背中を見送った。




「ふーっ、疲れたね。そろそろ帰ろっか」
「うん」
楽しい時間は本当に、びっくりするぐらいあっという間に過ぎてしまう。
気の向くままに駅前のショッピングセンターを上から下まで歩き回った私たちは、
足がすっかり棒になってしまっていた。
両手には紙袋。
学校に履いていく新しい靴とか、ときどきみんなで回し読みしている漫画なんかも買ったけど、
中でも目玉は伊藤詩織セレクションの冬物ワンセット。
限られた予算の中で厳選した、こだわりのセレクションなの。
「これよりこっちの方がいいかな。だよね、真由美ちゃんスレンダーだし」
「それ……ちょっと派手すぎないかな……」
「そんなことないよー、はい、持って」
「えっ、えっ」
ほとんど一方的に選んで、まごまごする真由美ちゃんに押しつける。
「さっ、真由美ちゃん試着試着!」
「えーーっ」
ところが試着室の前で待てども待てども、なかなか出てこようとしない真由美ちゃん。
中にこもったまましきりに「似合うかな」って繰り返してる。
「真由美ちゃん、どう? 試着出来た?」
「う、うん……」
「見せて見せて!」
「うー」
真由美ちゃんは恥ずかしそうにカーテンから首だけ覗かせる。
「もう〜、ちゃんと見せてくれないと似合うかどうかもわかんないよー」
「ひゃっ」
「うーん……思ってたより地味だったかな〜? 待ってて、新しいの取ってくる!」
「ちょっ……詩織ちゃん!?」
結局真由美ちゃんの必死の訴えもあって、最初に選んだのより大人しめのやつになっちゃったんだけどね。
少し照れくさそうだったけど、真由美ちゃんも気に入ってくれたみたい。それが一番だよね。
あっ、それから、アクセサリーショップでお揃いのシュシュを買ったんだ。
真由美ちゃんが緑のをひとつ。私がオレンジのをふたつ。
お互いの髪型と髪の色に似合いそうなのをふたりで選んだんだ。
この紙袋の中には、今日の私たちの楽しい記憶がいっぱいに詰まっている。

「あっ、プリクラ! 撮ろ撮ろ!」
「う、うん」
真由美ちゃんの手を引いて、出口の側にあるゲームセンターの方へ駆け寄る。
ちょうど先客の高校生の人たちが撮り終えて、プリクラのブースから出てくるところだった。
「私、プリクラって初めて……詩織ちゃんはやったことあるの?」
「ううん、ないけど」
「えっ、大丈夫かな?」
「ふふっ、別に失敗したって怒られるワケじゃないよ……お金はここかな?」
100円玉を4枚投入口に入れると画面が変わって、脳天気な音声が流れ始めた。 
『コースを選んでね♪』
「フレンドとカップルとシングル……えーと、カップルコースだね」
「えっ、ちょっ……」
ポン。
「し、詩織ちゃん」
『明るさを選んでね♪』
「明るさだって……じゃあ、美白モードっと」
「え〜っ!? 美白っていいの?」
「どーして?」
「だって、詩織ちゃん元々色白なんだから、きっと白くなりすぎちゃうよ」
「いいよいいよ」
「え〜? も〜」
それからもアナウンスに従って画面をタッチしていく。
初めて体験するプリクラに興奮して、自分でもテンションが上がっているのが分かった。
一方の真由美ちゃんはと言うとおっかなびっくりって感じで、操作はみんな私に任せっきりにしていた。
『くっついてピースしてね♪』
「あっ、あれ!? もう撮るの?」
「みたい。真由美ちゃん、こっち」
「わわっ」
ぎゅっと肩を引き寄せて、真由美ちゃんとの距離を縮める。
一瞬こわばった真由美ちゃんの肩の力は、私が体を離すとすぐに解けた。
でも、真由美ちゃん。笑顔がちょっぴりぎこちないよ。
『3、2、1』
ふたりでピースサインを決めて、数秒間の沈黙。
そしてシャッター音と共にストロボの光がまたたき、ふたつの笑顔を照らした。
しおり245_4




私たちが外に出る頃には日も落ちて、東の空から夜が追いかけてきていた。
街灯に照らされた私たちの足元に薄くぼやけた影が落ちる。
「あーあ、もう真っ暗」
「ちょっとムキになり過ぎちゃったよね……」
プリクラを撮った後、好奇心でUFOキャッチャーにチャレンジしてみたのがよくなかった。
取れそうで取れない。そのせいでふたりとも最後は意地みたいになってしまった。
結局お金と時間を費やして得た戦利品は、ブサイクなゆるキャラのぬいぐるみひとつだけ…。
「真由美ちゃん……これ、いる?」
「うん、詩織ちゃんがいらないなら……もらおっかな」
冷静になるとホントにもうどうでもいい代物だったけど、無事引き取り手が見つかったようだ。

駅前の繁華街を離れて、夕闇の帰り道をたどる。
疲れもあって口数も少なくなった頃、真由美ちゃんがふと立ち止まった。
「詩織ちゃん」
「うん」
「私、こっちだから」
「あっ、そっか」
「今日は楽しかったね」
「うんうん」
「こんなふうに詩織ちゃんに誘ってもらったの初めてだったし、うれしかったよ。ありがと」
「ううん、こっちこそ付き合ってもらったし……ありがと。私も真由美ちゃんと遊べてすごく楽しかった」
「うん、だから今度は……」
――あ。
「おがちんも一緒に……3人で行こうね」

そう、いつもと同じ。もう慣れっこだよ。だから。
にこっ。
「うん、そうだね」

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