しおりりばーしぶる(7)                    

しおり01
――その日、帰りの会の最中に突然降り出した雨。
月に一度の委員会の集まりを終えた私は急いで下駄箱に向かった。
早く帰りたいからじゃない。
だって、こんな千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないもの。
今日はおがちんとも別行動。そして天気予報に嘘つきと言いたくなるほど予想外の大雨。
きっと真由美ちゃんも傘を持ってきていないはず……。




しおり148_1
あ〜っ、もう! 早く早く! 急がなくっちゃ!
今日は放課後の委員会活動でみんないないし、いつもの見回りが出来ないのが残念だけど仕方ないわ。
時計はもう4時を5分以上回っていた。私に残された時間は少ない。
「あら?」
階段を飛び降りるように一気に駆け下りた私は、見知った背中がクラスの下駄箱の前にたたずんでいるのを見つけた。
少し背伸びして下駄箱の中を覗き込んだり、キョロキョロあたりを見回したりしてる。どうしたのかしら?
「詩織!」
「あっ……おがちん」
私が声を掛けると、詩織はビクッと肩を振るわせてこちらを振り返った。ちょっと驚かせちゃったみたいね。
「どうしたの? あっ、もしかしてひとりで見回りしていたの? それは感心ね!」
「あ、う、うん」
あら、気のない返事。それになんだかソワソワしてるみたい。
「帰らないの? 委員会は終わったんでしょ?」
「うん、でも傘忘れちゃったから……」
詩織はやまない雨に閉ざされた昇降口の外を見ながらため息をついた。
「別にいいじゃない。ちょっとくらい濡れたって」
「うん……でももうすぐ止むかもしれないし、少し待ってみるよ」
「ふーん」
詩織みたいな育ちのいい子は、服が濡れるのも気にするのかもしれないわね。
「おがちんは傘持ってるの?」
「そうそう!」
詩織に聞かれて肝心なことを思い出した。
「傘はないけどこのまま帰るわ。私には時間がないのよ!」
「急いでるの?」
「ええ。うちの近所のスーパー、第3金曜はタイムサービスでコロッケつめ放題やってるんだけど、それが5時までなのよ!」
「そ、そうなんだ。じゃああんまり時間ないね」
「それにほら、今は雨が降ってるでしょ? 雨が降ると割引シールが貼られるから、色々買い溜めするチャンスってわけ。毎日でも雨になってほしいくらいだわ!」
「いつもよりお得なんだね」
「そうそう。でね、今日は知り合いのおばさんがパートで入ってるんだけど、その人がいると――」
「おがちん」
急に詩織に話の腰を折られちゃった。それ自体は珍しいことじゃないんだけど。
「タイムサービスはいいの?」
「あああっ!!」
そうそう、そうだった。詩織には悪いけど、のんきに立ち話なんてしてる場合じゃなかったんだわ!
私は慌ててスニーカーに履き替えると、ふうっとひと呼吸入れてダッシュの体勢を取った。
よーし! 全速力で行くわよ!
「あっ、おがちん」
「っっ!?」
駆け出そうとした矢先に急ブレーキを掛けられて、マンガみたいにズッコケそうになる私。
「な、なに!?」
「あ、うん……おがちんは明日、どこか出かける用事とかある?」
「用事? うーん……」
差し当たって思いあたる用事はない。
隣のおばさんにいらない布をもらったから、等身大佐藤くん抱き枕を作ろうかなって思ってたくらい。
「……別にないわ。明日はお兄ちゃんも家にいるし、たぶん出かけない」
「そっか、呼び止めてごめんね」
「ううん。じゃあまた来週ね、詩織!」
「うん、またね」
あいさつもそこそこに、私は降りしきる雨の下に飛び出した。
急げ急げ! ポテトコロッケが、かぼちゃコロッケが私を待っている!
明日の夜はお兄ちゃんも非番でお休みだし、月に一度の豪華コロッケパーティよ!
おかしなものね。すごく焦っているはずなのに、なんだか私、楽しくなってきちゃった。
心拍数と一緒にテンションも上がってるせいかもしれない。
しきりに顔を叩く雨粒もグッショリと濡れた服も気にせず(パンツをはいてないとこういうときいいわね)
私は軽やかなステップで雨の通学路をひた走った。




あっ、やっと来た。
スラリとした細身の長身に、揺れるポニーテール。真由美ちゃんだ。
下駄箱の影に身を潜めていた私は小走りでその背中に追い付いて、さりげなく隣に並んだ。
「真由美ちゃん」
「あっ、詩織ちゃん」
「帰り?」
「うん、でも……」
外の様子を見て、真由美ちゃんは顔を曇らせた。
雨はまだ飽きもせずに降り続けている。それどころか雨脚はさっきよりも強くなっていた。
「急に降ってきたもんね〜、それにこんな土砂降りになるなんて。天気予報は1日晴れだって言ってたのに」
「だよね〜。だから私、傘なんて持ってこなかったよ」
やっぱり。私は内心にんまりすると、前もって用意しておいた台詞を口にした。
「あっ、じゃあ私置き傘あるから、入れてってあげるよ」
「いいの? うちに寄ってからだと、詩織ちゃんはちょっと遠回りになっちゃうでしょ?」
「いいよいいよ、そんなの。それに雨だっていつやむか分かんないじゃない?」
「うん……だね。じゃあ、お言葉に甘えてお願いしまーす」
「ふふっ」
計算通りにいったからじゃなくて。
真由美ちゃんと二人きりで帰れることが素直に嬉しくて、私は自然と笑みをこぼしていた。
広げた薄ピンク色の傘の下。私たちは肩を寄せ合うようにしながら、ゆっくり歩き始めた。
今日ばかりは、気紛れな秋の空に感謝しなくっちゃね。

「ねっ、真由美ちゃん、明日忙しい?」
帰り道も半ばまで来たあたり。タイミングを見計らって、私は切り出した。
「明日? ううん、別にヒマだけど」
「じゃあさ! 一緒に遊びに行かない?」
「えっ、うん、じゃあおがちんにも――」
「あっ」
とっさに話を遮る。うーん、今のはちょっとわざとらしかったかな?
「おがちんにも聞いたんだけど、明日は用事があるからダメなんだって」
もちろん口から出任せ。
幸い真由美ちゃんはそんなデタラメを疑う素振りも見せずに、
「ええ〜っ、そうなんだ……残念」
と、あからさまにガッカリしてみせた。思ってた通り。分かってたよ。私は心の中で苦笑いした。
それはともかく今は真由美ちゃんの気持ちを逸らさなくちゃ。
「知ってる? 駅前に新しいクレープ屋さんが出来たんだよ。有名なチェーンの……なんだったかな。クリームチーズが入ってて、甘過ぎなくて美味しいとかって人気あるみたい」
「へえ〜知らなかったよ。駅前って、どのあたり?」
「ほら、あのおっきい本屋さんの隣。先週見に行ったら、いっぱい人が並んでたよ」
「すごいね〜そんなに美味しいのかなあ〜? 1回食べてみたいね」
「ねっ、だから行ってみようよ、ふたりで」
ふたりで、ってところをちょっと強調してみたり。
「う、うん……」
「それにたまには服なんかも見て回りたいじゃない? ほら、おがちんがいると……ちょっと遠慮しちゃうし」
「うん……それもそうだね」
「やった♪ 楽しみだねっ、真由美ちゃん」

真由美ちゃんはまだ少しためらい気味だったけど、楽しみだねと笑って答えてくれた。
私にはひとつ計算があった。
どんなに嘘を重ねても、秘密を作っても、真由美ちゃんがおがちんにバラすことはないって。
だって真由美ちゃんは優しいから。嘘に嘘を重ねて自分を追い詰めることになったとしても、
人を傷つけるようなことは絶対に出来ない子だから。
そうやって、どんどんふたりだけの秘密を作っていけば…。
そうすれば、真由美ちゃんは私から離れられなくなる。
だって私たちは同じ秘密と罪を分かち合う、"共犯"なんだから。




「ただいまー」
私が帰ると玄関でお母さんが待っていて、タオルを手に出迎えてくれた。
「おかえりなさい、濡れたでしょ?」
「ううん、だいじょうぶ。詩織ちゃんに傘に入れてもらったから」
「そう、ならよかったわ。あんまり遅かったら迎えに行こうと思ったんだけど…。寒かったでしょ、先にお風呂入る?」
「うん、そうするー」
いくら傘があっても雨が強くてやっぱり濡れちゃったし、夕方だったこともあって体はすっかり冷えてしまっていた。
そして自分の部屋に戻る途中、電話機の前で私はふと立ち止まった。
さっきの詩織ちゃんとの話を思い返す。
明日の約束。
ふたりで遊びに行こうって。おがちんは用事で来られないって。
詩織ちゃんはそう言っていた。
――でも。
詩織ちゃん、さっき……傘をくるくる回していた。
私がおがちんのことを口にしたときから。
私は知っている。
詩織ちゃんは嘘をつくとき、手の落ち着きがなくなることを。
だって、私は詩織ちゃんをずっと見てきたんだもん。
一番近くで、一番たくさん、詩織ちゃんのことを見続けてきたんだもん。
だから詩織ちゃん自身が気付いていないようなクセだって、みんな知ってる。
私は受話器を手にとって、おがちんの家の電話番号を押し始めた。
ピッ、ピッ、ポッ。
でも最後のボタンを押すところで、私はためらいを覚えて手を止めた。
あまり考え無しに始めてしまった行動だったことに気付いたから。
そういえば……おがちんになんて話をすればいいのかな?
「おがちん、明日用事ある?」
「もしないなら、明日詩織ちゃんと3人で遊びに行こうよ」
そう言えばいいの?
だいたい、そう聞いてどうするの?
詩織ちゃんが嘘をついてるって、それを確かめたからって、何になるの…?
……カチャ。
受話器を静かに戻すと同時に、小さな罪悪感が私の心の表面をチクリと刺した。
おがちん、ごめんね。でも今回だけは……。
詩織ちゃんの考えてることは正直言って、私には分からない。
でも明日は余計なことは考えずに、詩織ちゃんと過ごす時間を楽しむことにしよう。そう決めた。

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