しおりりばーしぶる(♠3)
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――思えば、私たちは不思議な関係だと思う。
性格も見た目もバラバラな3人だけど、佐藤くんが好き。その思いはひとつ。
同じ目的のために助け合う恋の運命共同体、でも同時にひとりの人を想って競い合う恋のライバル。
佐藤くんを重心に、正三角形を――ときに二等辺三角形を描く私たちの関係。
私もそういう関係が嫌いじゃなかった。
みんなで佐藤くんに声援を送って、佐藤くんの空気の吸い比べをして。
ひとりで突っ走るおがちんを、私と真由美ちゃんで追いかけて。
でも結局追いつけなくて、ふたりで顔を見合わせて苦笑いして。
そんなふうにみんなと楽しく過ごす日々は、どこか冷めていた私にたくさんの笑顔を与えてくれたから。
けれどその三角形は少しずつ歪み始めていた。思いも寄らないことがきっかけで。
私はそのことに早くから気付いていた……その視線に敏感だったから。
そして気付いていたけど……見ないように、考えないようにフタをして閉じ込めた私の心は、
いつの間にか黒く濁った毒に変わって、私の中をいっぱいにしていったんだ……。
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その日は放課後までの時間が、ものすごく長く感じられた。
早くひとりになりたい。
今の自分の揺れる気持ちを悟られたくない。誰にも。おがちんにも。そして真由美ちゃんには絶対に。
半ば上の空で帰宅した私はランドセルも背負ったまま、ベッドの上に無造作に身体を放り出した。
そうして深く息をついて、目を閉じて思い返してみる。
まぶたの裏に浮かんだのは、あの瞬間の真由美ちゃんの横顔……。
「逃がすもんですか!」
「お……おがちん…」
脇目もふらず廊下の向こうへと駆けていくおがちんの背中が、どんどん小さくなっていく。
真由美ちゃんの呼び止める声も、その背中に届く前に置き去りにされてしまった。
あ〜あ。おがちんの暴走スイッチが入っちゃった。
こうなるともう私たちの足では追いつけない。
「しょうがないから、ふたりで佐藤くんの空気を吸いに行こっか」
苦笑い混じりでそう言い掛けた私は、真由美ちゃんの表情を見てとっさに口をつぐんだ。
(あっ、やっぱり……そうなんだ)
前から気になってた。薄々感じていた。
でもそんなの見たくない。だから見えないように、透明に塗りつぶしていたその――違和感。
けれど一度意識してしまったら、もうごまかせない。
瞬きひとつの間に、"色"を伴った感情で染め上げられる私の心。
真っ黒な、私の汚い部分を全部集めてドロドロに溶かしたような真っ黒な色で…。
そのとき苦笑いの代わりに私の口から出てきたのは、たぶん意志を伝えるための言葉じゃない、
自分でもコントロール出来ない心の声だったんだと思う。
――どうでもいいじゃない。おがちんのことなんて。
「ほ…ほっといて」
――私と真由美ちゃんのふたりだけで。
「佐藤くんの空気吸いにいこうよ」
「えっ…でも…」
私からの思いがけない提案に、真由美ちゃんは明らかに戸惑っていた。
無理もないよ。私だって自分で驚いているんだから。
私の唇はなおも勝手に動いて、自分の意識から切り離された言葉を紡いだ。
「ほら…おがちんはあれで幸せなんだよ…一番大事なのは佐藤くんでしょ?」
そう言いながら、私は無意識のうちに真由美ちゃんに手を伸ばしていた。
右手を口元に当てる私のクセが、自分の心を飾ってみせるためのドレスだとしたら、
伸ばした左手はきっと小さな子供みたいに相手との繋がりを求めようとする、
私の不安な……裸の心そのものだったんだね。
でもその手は真由美ちゃんの心に届く前に、遮られてしまった。
私にとってまるで不意打ちみたいな言葉で。
「ほっとけないよ、おがちんは友だちだもん」
いつもの気弱そうな、細くてかすかに震えた声。でもその口調には強い意志がこもっていた。
私の空っぽの言葉とは正反対の、はっきりとした、強い意志が。
遠くを仰ぎ見るように振り向いた横顔。その目にはもう私の姿は映っていなかった。
「おがちん探してくるね」
「あっ、真由美ちゃ――」
すがりつくように伸ばした手をすり抜けて、真由美ちゃんは走り去っていった。
ううん、違う。そうじゃなかったんだよね。今なら分かるよ。
真由美ちゃんは私のところから走り去っていったんじゃない。
おがちんのあとを追いかけていったんだよね……。
ポニーテールを揺らして遠ざかる背中を見送りながら、私は廊下に立ち尽くしていた。
やがて真由美ちゃんの後ろ姿は、曲がり角の影に消えて見えなくなる。
(どうして……真由美ちゃん)
さっきの真由美ちゃんの横顔を思い出す。
怒ってるわけでも、悲しんでるわけでもない。
ううん、その方がまだ全然マシだったかも。
(……真由美ちゃん、私のこと、見てなかった)
火照ったみたいに顔が熱くなるのが分かる。
急に増えたまばたきをごまかすように、私は窓の外に視線を落とした。
ばか。
こんなの、私、らしくない。
私は、伊藤詩織はいつでも冷静で、したたかで、スマートにふるまう、そんな女なんだもん。
「ばかだなぁ……真由美ちゃん」
無理にでも、強がりでも、そうつぶやいて、ひとりぼっちの私は笑ってみせた。
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――あれ、だれか泣いてる?
冬の日の昼休み。もうすぐ5時間目のチャイムも鳴ろうかという頃。
友だちと校庭から戻ってきた私は、誰かの泣く声が聞こえたような気がして足を止めた。
あっ、気のせいじゃなかったみたい。
女の子がひとり、階段のところでキョロキョロとあたりを見回している。
だれか探してるのかな。目に涙をいっぱいためて、今にも泣き出しそう。
あの子は、2組の緒方さんといっしょにいる……たしか、加藤さんだっけ。
いつもこっそり佐藤くんのことを見つめてるんだよね。わたし、知ってるよ。
「あの子がどうかしたの、しおりちゃん」
「あ、うん、ちょっと。先に行ってていーよ」
その時の私はなんとなく真由美ちゃんを放っておくことができなくて、声を掛けることにした。
「ねえ、どーしたの? 先生よんでこよっか?」
真由美ちゃんは私の声に一瞬ビクッとすると、すぐにすがるような目を向けてきた。
張り詰めていた気持ちがゆるんだのか、その目からはポロポロと涙がこぼれ始めた。
その弱々しい真由美ちゃんの姿を見て、私はなぜかキュンとしたのを覚えている。
「みっ、みんながね……」
「みんなが?」
「も、もどったら……きょ、教室に……いなくてっ……」
「ふーん、どうして?」
「わ、わかんないよぅ……」
すんすんと鼻をすすり上げて泣いてる真由美ちゃんは、背たけは私よりずっと大きいのに、
幼稚園の子みたいにちっちゃく見えたっけ。
「次はなんのじゅぎょうなの?」
「え、えっと……そうごうがくしゅう」
あっ、それならもしかして。
「だったら体育館に行ったんじゃないかな? わたしのクラスも昨日そ−ごー学習だったんだ」
「えっ、ホント!?」
「うん、わたしもいっしょに体育館に行ってあげるよ」
もし違ってたら、ヤだし。
「う、うん……」
真由美ちゃんの手を取って歩き始める。引かれるまま、黙ってついてくる真由美ちゃん。
おずおずと握ってきた手のひらが、冷えた手にほんのり温かく感じられた。
そしてちょうど渡り廊下に差しかかるあたりで、弾むような声と共に小さな人影が飛び出してきた。
「まゆみー!」
「あっ、おがちん!」
その声を聞くなり、真由美ちゃんはパッと笑顔全開になる。さっきまでの泣き顔がウソみたい。
「しおりっ、あなたがまゆみを連れてきてくれたのね。礼をいうわ!」
「あ、ありがと……しおりちゃん」
「ううん、いいの。またね、まゆみちゃん」
……真由美ちゃん。
あのとき私を信じて握ってくれた手は、今もここにあるよ。
小さなきずなを確かめるみたいに、きゅっと握りあった手。
きっと今はほんの少し、ほんの少しの間、ほどけてしまっただけ……。
友だち想いの真由美ちゃんのことだから、ただおがちんが心配なだけなんだよね。
でもおがちんだってそのうち飽きるよ、ノーパンなんて。
そしたらまた元通りだよ。
だって真由美ちゃんは、私の真由美ちゃんなんだもの。
そうだよね、真由美ちゃん。私の真由美ちゃん……。
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