しおりりばーしぶる(♥2)
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――私が初めてその視線を感じたのは、5年生に上がって間もない頃だった。
1学期の身体測定。
桜の花びらもとっくに飛ばされてしまって、日射しの下では歩いているだけでも少し汗ばむくらい。
でも風の中にはちょっと肌寒さも残ってる。
そんな春がまだ寝起きの頃だったから、保健室では古いストーブがたかれていた。
ぬくぬくとした空気の中、私たちは上着を脱いで列を作っていた。
キャミの子、スポブラの子、ブラシャツの子、タンクトップの子。
インナーにもこだわりがありそうな子も、全然気にしてなさそうな子も、人それぞれ。
意識の差が現れているのか、みんなが着てるインナーの種類も、去年より増えた気がする。
ホックつきブラの子は、まだあまりいない。
4年生のときにもう着けてる子がいたけど、その子は恥ずかしいから嫌だと言っていたっけ…。
そんなことに関心が向いたのは、ちょうどその頃の私も、ママにそろそろ着けなさいと言われて、
キャミタイプのやつから卒業したばかりだったから。
照れくささ半分、ちょっぴり誇らしい気持ちが半分。
ううん、まだ人前で見せたこともなかったし、どちらかと言うと照れくさい方が強かったかな。
私は後ろに並んでいた真由美ちゃんと背中越しに話しながら、体重計の順番が来るのを待っていた。
体重はあんまり増えてないといいねとか。
目が少し悪くなっちゃったけど、メガネにしたら似合うかなとか。
そんな取り留めのない話をしていたとき、ふと振り返ると、真由美ちゃんと目が合った。
その瞬間、真由美ちゃんはハッと慌てたように目を逸らした。
なんだか様子がヘン。隠しごとがバレたときみたいに、気まずそうにしている。顔もちょっと赤い。
「どうしたの?」
「う、ううん」
真由美ちゃんは落ち着かない様子で、答えにならない答えを返す。
そういえば、私の肩越しに覗き込もうとしていたよーな…。
「私を見てたの?」
「見てない見てないっ」
「ブラ?」
「……」
ふるふる。
「むね?」
「……」
「やだ、真由美ちゃん。えっち」
「ちっ、違う! 違うよ!」
軽い口調で茶化しただけなのに、妙に大げさに反応する真由美ちゃん。
うーん、怪しいなぁ。
私の中でイタズラ心が頭をもたげてくるのを感じる。
私は両肩のストラップに手を掛けながら、恥じらうような表情を作ってみせた。
「真由美ちゃんが見たいなら、見せてもいいけど……」
「いいよいいよ、見ない見ない」
真由美ちゃんはまさか真に受けたのか、ギュッと目をつむってしまった。
すっごく顔が赤くなってる。その姿に不覚にもキュンと来る私。写真に撮りたいくらいだよ。
「し、詩織ちゃん、違うからね。そんなんじゃなくて……」
しどろもどろになりながら、真由美ちゃんが弁解し始めた。
「ただ詩織ちゃんはオトナだなぁ。すごいなぁって思ったから……」
「もーそんなことないって」
私は迷わずそう答えた。だってそれが本音だから。私だって精いっぱい背伸びしているだけだもの。
でもホントにそんなふうに見られていたとしたら……正直、うれしいかも。
自分にはまだ早いんじゃないか……そんな心の片隅にあった不安が消え去ったように思えた。
「私もママに買ってもらっただけだよ。それにほら、こういう方が可愛いじゃない? 真由美ちゃんもママにお願いしてみたら?」
「うーん……」
少し遠い目をする真由美ちゃん。可愛いブラを着けた自分の姿でもイメージしているのかな。
でもすぐにその顔は、いつものあきらめたような苦笑いに変わった。
「やっぱりやめとくよ。私なんてまだ早いと思うし……」
「詩織! 真由美!」
そこへ先に体重を計り終えたおがちんが戻ってきた。
「先に着替えて外で待ってるわね。そのあとで佐藤くんのデータをゲットするための作戦会議よ!」
「う、うん」
「あら、どうしたの、真由美。元気ないじゃない……なにか悩みでもあるなら聞くわよ?」
「えーと、おがちんにはあんまり関係ないことかな?」
「し、詩織ちゃん!」
とぼけて口を挟んだ私に、真由美ちゃんが非難めいた目を向ける。
ごめんね。怒らないで、真由美ちゃん。
「な、なんでもないから。なんでもないからね! 気にしないでおがちん」
「そう。でもそう言われると、かえって気になるわね……」
いぶかしげに私たちの顔を見比べるおがちん。
「そっ、そうだ、おがちん。さっき聞こうと思ってたんだ。身長はどうだった?」
場を取り繕おうと必死な真由美ちゃんからの質問に、おがちんは(ない)胸を張って答えた。
「そーよ、聞いて驚きなさい! 去年からなんと2センチも伸びたのよ!」
「すごーい!」
わざとらしいくらいオーバーに驚いてみせる真由美ちゃん。
その影でとっさに自分の記録票を隠したのを、私の目は見逃さない。
そしてちょっぴり意地悪したくなってみて…。
「あれ、真由美ちゃん、さっき7センチ伸び――」
「わーっ」
途中で私の口はふさがれて、言い掛けた言葉は保健室のざわめきの中に消えていった。
それからというもの、私は真由美ちゃんからの視線をたびたび感じるようになった。
もしかすると私が気付いてなかっただけで、今までも見られてたのかな?
たとえば、腕を伸ばして黒板の上の方を消しているとき。
体育の時間の前、ブルマにはきかえてるとき。
ブラのホックが外れて、周りに気付かれないようにこっそり留め直しているとき。
そんなとき、チラチラと遠慮がちに私に向けられる、真由美ちゃんの視線。
ちょっと目を伏せて、そしてなんだか申し訳なさそうな…。
最初のうちは、どうしてかなって少し不思議に思っていた。
大人っぽいとか関係ないし…。まさか"好き"とか……ふふっ、そんなわけないよね。
それはすぐに分かった。だって佐藤くんを見てるときの目とは、やっぱり違うもん。
そして私は、真由美ちゃんの視線には気付いていないフリをしていた。
意識しちゃうと、くすぐったい感じもしたけど……でも別に悪い気はしなかったから。
きっと私のいいところを見つけて、そこを見てくれているんだよね。
気付かれていないと思って見つめる真由美ちゃん。気付いてるけど黙って見られる私。
そんな奇妙な関係を私は楽しんでいた。それと同時に細心の注意を払っていた。
絶対に誰にも知られてはいけない。真由美ちゃんにも。心に堅く鍵を掛けなくちゃ。
だってこれは私だけが知ってる秘密の関係。
私と真由美ちゃん、ふたりきりの世界で生まれた、大切な秘密なんだから……。
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私の勉強机にはふたつの写真立てが飾ってある。
頬杖をついて、その写真を眺める時間が私は好きだった。
ひとつはもちろん、佐藤くんの写真。
去年の球技大会。シュートを決めた瞬間、ちょっぴりカメラ目線になった佐藤くんが写ってるの♥
私の自慢のお宝ショットなんだ。
もうひとつは、春先の遠足のときに撮った私たち――しょうがない隊の3人が一緒に写った写真。
真由美ちゃんはああいう性格だから、いつもは私とおがちんの影に隠れるようにしているけど、
この写真では違ってて、3つの笑顔の中心にいるのは真由美ちゃんだ。
それには理由があって、この写真を撮ってくれた矢部先生が順番にセンターに来るように言ってくれたんだ。
真由美ちゃんの性格を考えて、気を遣ってくれたのかな。
最初はおがちん、そして私。最後に真由美ちゃん。
慣れてきたおかげか、3枚の中でもみんなの笑顔がいちばん自然に撮れているのがこの1枚だった。
それでも真由美ちゃんの笑顔は、ちょっとぎこちない。
真由美ちゃん、人前で自然に笑顔を作るのが苦手みたい。私と違って。
……ね、私、思うんだ。写真立ての中の真由美ちゃんに語りかける。
真由美ちゃんは自分に自信が持てないのかな?
ときどき言うよね。なにかあきらめたみたいに。「私なんて」「私なんか」って。
でもそういうのって、もったいないと思うよ。真由美ちゃんはもっと自分を好きにならなくちゃ。
だって、私は真由美ちゃんのいいところをたくさん知ってるもの。
真由美ちゃんはまじめで、一途で、ガマン強くて。
誰よりも友だち想いで、優しくて。
そしてとっても可愛いコなんだって。
私がからかった時にあたふたする真由美ちゃんは、見ててすっごく可愛いらしいし、
佐藤くんを遠くから見つめてるときの横顔は、ドキッとしちゃうくらい綺麗。
ずっと、いつも側にいる私が言うんだから、間違いないでしょ?
そうだよ。真由美ちゃんはホントに、絶対、可愛いんだから。
でもね、本音を言うとね……いいの。
真由美ちゃんが可愛いってことは、私だけが知っていればいい。
おがちんも、佐藤くんも、誰も知らなくていい。
だって真由美ちゃんは、私の真由美ちゃんなんだもの。
真由美ちゃんの可愛さを世界でいちばん知ってるのは、私。
だから私ひとりで独り占めするの。佐藤くんにだって渡さないんだもん。
こんなこと、もちろん真由美ちゃんには言えないけどね。だからこれも、私だけの秘密。
私たちふたりが紡ぐ、ふたつの秘密。
人には言えない、伝えられない。伝えたら全部壊れてしまう……そんな想いってあるんだね。
こんなふうに、写真越しに話すことしか出来ない。そんな想いが。
全然知らなかったよ。それを知らずに笑っていた私の方が、きっとバカな子だったんだね。
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