しおりりばーしぶる(2)                    

しおり01
――私が初めてその視線を感じたのは、5年生に上がって間もない頃だった。
1学期の身体測定。
桜の花びらもとっくに飛ばされてしまって、日射しの下では歩いているだけでも少し汗ばむくらい。
でも風の中にはちょっと肌寒さも残ってる。
そんな春がまだ寝起きの頃だったから、保健室では古いストーブがたかれていた。
ぬくぬくとした空気の中、私たちは上着を脱いで列を作っていた。
キャミの子、スポブラの子、ブラシャツの子、タンクトップの子。
インナーにもこだわりがありそうな子も、全然気にしてなさそうな子も、人それぞれ。
意識の差が現れているのか、みんなが着てるインナーの種類も、去年より増えた気がする。
ホックつきブラの子は、まだあまりいない。
4年生のときにもう着けてる子がいたけど、その子は恥ずかしいから嫌だと言っていたっけ…。
そんなことに関心が向いたのは、ちょうどその頃の私も、ママにそろそろ着けなさいと言われて、
キャミタイプのやつから卒業したばかりだったから。
照れくささ半分、ちょっぴり誇らしい気持ちが半分。
ううん、まだ人前で見せたこともなかったし、どちらかと言うと照れくさい方が強かったかな。

私は後ろに並んでいた真由美ちゃんと背中越しに話しながら、体重計の順番が来るのを待っていた。
体重はあんまり増えてないといいねとか。
目が少し悪くなっちゃったけど、メガネにしたら似合うかなとか。
そんな取り留めのない話をしていたとき、ふと振り返ると、真由美ちゃんと目が合った。
その瞬間、真由美ちゃんはハッと慌てたように目を逸らした。
なんだか様子がヘン。隠しごとがバレたときみたいに、気まずそうにしている。顔もちょっと赤い。
「どうしたの?」
「う、ううん」
真由美ちゃんは落ち着かない様子で、答えにならない答えを返す。
そういえば、私の肩越しに覗き込もうとしていたよーな…。
「私を見てたの?」
「見てない見てないっ」
「ブラ?」
「……」
ふるふる。
「むね?」
「……」
「やだ、真由美ちゃん。えっち」
「ちっ、違う! 違うよ!」
軽い口調で茶化しただけなのに、妙に大げさに反応する真由美ちゃん。
うーん、怪しいなぁ。
私の中でイタズラ心が頭をもたげてくるのを感じる。
私は両肩のストラップに手を掛けながら、恥じらうような表情を作ってみせた。
「真由美ちゃんが見たいなら、見せてもいいけど……」
「いいよいいよ、見ない見ない」
真由美ちゃんはまさか真に受けたのか、ギュッと目をつむってしまった。
すっごく顔が赤くなってる。その姿に不覚にもキュンと来る私。写真に撮りたいくらいだよ。
「し、詩織ちゃん、違うからね。そんなんじゃなくて……」
しどろもどろになりながら、真由美ちゃんが弁解し始めた。
「ただ詩織ちゃんはオトナだなぁ。すごいなぁって思ったから……」
「もーそんなことないって」
私は迷わずそう答えた。だってそれが本音だから。私だって精いっぱい背伸びしているだけだもの。
でもホントにそんなふうに見られていたとしたら……正直、うれしいかも。
自分にはまだ早いんじゃないか……そんな心の片隅にあった不安が消え去ったように思えた。
「私もママに買ってもらっただけだよ。それにほら、こういう方が可愛いじゃない? 真由美ちゃんもママにお願いしてみたら?」
「うーん……」
少し遠い目をする真由美ちゃん。可愛いブラを着けた自分の姿でもイメージしているのかな。
でもすぐにその顔は、いつものあきらめたような苦笑いに変わった。
「やっぱりやめとくよ。私なんてまだ早いと思うし……」
「詩織! 真由美!」
そこへ先に体重を計り終えたおがちんが戻ってきた。
「先に着替えて外で待ってるわね。そのあとで佐藤くんのデータをゲットするための作戦会議よ!」
「う、うん」
「あら、どうしたの、真由美。元気ないじゃない……なにか悩みでもあるなら聞くわよ?」
「えーと、おがちんにはあんまり関係ないことかな?」
「し、詩織ちゃん!」
とぼけて口を挟んだ私に、真由美ちゃんが非難めいた目を向ける。
ごめんね。怒らないで、真由美ちゃん。
「な、なんでもないから。なんでもないからね! 気にしないでおがちん」
「そう。でもそう言われると、かえって気になるわね……」
いぶかしげに私たちの顔を見比べるおがちん。
「そっ、そうだ、おがちん。さっき聞こうと思ってたんだ。身長はどうだった?」
場を取り繕おうと必死な真由美ちゃんからの質問に、おがちんは(ない)胸を張って答えた。
「そーよ、聞いて驚きなさい! 去年からなんと2センチも伸びたのよ!」
「すごーい!」
わざとらしいくらいオーバーに驚いてみせる真由美ちゃん。
その影でとっさに自分の記録票を隠したのを、私の目は見逃さない。
そしてちょっぴり意地悪したくなってみて…。
「あれ、真由美ちゃん、さっき7センチ伸び――」
「わーっ」
途中で私の口はふさがれて、言い掛けた言葉は保健室のざわめきの中に消えていった。
しおり90_1
それからというもの、私は真由美ちゃんからの視線をたびたび感じるようになった。
もしかすると私が気付いてなかっただけで、今までも見られてたのかな?
たとえば、腕を伸ばして黒板の上の方を消しているとき。
体育の時間の前、ブルマにはきかえてるとき。
ブラのホックが外れて、周りに気付かれないようにこっそり留め直しているとき。
そんなとき、チラチラと遠慮がちに私に向けられる、真由美ちゃんの視線。
ちょっと目を伏せて、そしてなんだか申し訳なさそうな…。
最初のうちは、どうしてかなって少し不思議に思っていた。
大人っぽいとか関係ないし…。まさか"好き"とか……ふふっ、そんなわけないよね。
それはすぐに分かった。だって佐藤くんを見てるときの目とは、やっぱり違うもん。
そして私は、真由美ちゃんの視線には気付いていないフリをしていた。
意識しちゃうと、くすぐったい感じもしたけど……でも別に悪い気はしなかったから。
きっと私のいいところを見つけて、そこを見てくれているんだよね。
気付かれていないと思って見つめる真由美ちゃん。気付いてるけど黙って見られる私。
そんな奇妙な関係を私は楽しんでいた。それと同時に細心の注意を払っていた。
絶対に誰にも知られてはいけない。真由美ちゃんにも。心に堅く鍵を掛けなくちゃ。
だってこれは私だけが知ってる秘密の関係。
私と真由美ちゃん、ふたりきりの世界で生まれた、大切な秘密なんだから……。




私の勉強机にはふたつの写真立てが飾ってある。
頬杖をついて、その写真を眺める時間が私は好きだった。
ひとつはもちろん、佐藤くんの写真。
去年の球技大会。シュートを決めた瞬間、ちょっぴりカメラ目線になった佐藤くんが写ってるの
私の自慢のお宝ショットなんだ。
もうひとつは、春先の遠足のときに撮った私たち――しょうがない隊の3人が一緒に写った写真。
真由美ちゃんはああいう性格だから、いつもは私とおがちんの影に隠れるようにしているけど、
この写真では違ってて、3つの笑顔の中心にいるのは真由美ちゃんだ。
それには理由があって、この写真を撮ってくれた矢部先生が順番にセンターに来るように言ってくれたんだ。
真由美ちゃんの性格を考えて、気を遣ってくれたのかな。
最初はおがちん、そして私。最後に真由美ちゃん。
慣れてきたおかげか、3枚の中でもみんなの笑顔がいちばん自然に撮れているのがこの1枚だった。
それでも真由美ちゃんの笑顔は、ちょっとぎこちない。
真由美ちゃん、人前で自然に笑顔を作るのが苦手みたい。私と違って。

……ね、私、思うんだ。写真立ての中の真由美ちゃんに語りかける。
真由美ちゃんは自分に自信が持てないのかな?
ときどき言うよね。なにかあきらめたみたいに。「私なんて」「私なんか」って。
でもそういうのって、もったいないと思うよ。真由美ちゃんはもっと自分を好きにならなくちゃ。
だって、私は真由美ちゃんのいいところをたくさん知ってるもの。
真由美ちゃんはまじめで、一途で、ガマン強くて。
誰よりも友だち想いで、優しくて。
そしてとっても可愛いコなんだって。
私がからかった時にあたふたする真由美ちゃんは、見ててすっごく可愛いらしいし、
佐藤くんを遠くから見つめてるときの横顔は、ドキッとしちゃうくらい綺麗。
ずっと、いつも側にいる私が言うんだから、間違いないでしょ?
そうだよ。真由美ちゃんはホントに、絶対、可愛いんだから。

でもね、本音を言うとね……いいの。
真由美ちゃんが可愛いってことは、私だけが知っていればいい。
おがちんも、佐藤くんも、誰も知らなくていい。
だって真由美ちゃんは、私の真由美ちゃんなんだもの。
真由美ちゃんの可愛さを世界でいちばん知ってるのは、私。
だから私ひとりで独り占めするの。佐藤くんにだって渡さないんだもん。
こんなこと、もちろん真由美ちゃんには言えないけどね。だからこれも、私だけの秘密。

私たちふたりが紡ぐ、ふたつの秘密。
人には言えない、伝えられない。伝えたら全部壊れてしまう……そんな想いってあるんだね。
こんなふうに、写真越しに話すことしか出来ない。そんな想いが。
全然知らなかったよ。それを知らずに笑っていた私の方が、きっとバカな子だったんだね。
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