しおりりばーしぶる(Q)                    

しおり01
――これはとある、ダイヤのクイーンのお話。

今日はみんなでお泊まり会。
3人一緒に行動することが多い私たちだけど、誰かの家にお泊まりするのは初めての経験。
提案した私はもちろん、おがちんもすっかり乗り気でウキウキとはしゃいでいた。
でもなぜか真由美ちゃんだけは、少しためらっているみたいだった。
そのときは真由美ちゃんのことだから、気を遣って遠慮しているのかなと思ったんだけど…
後から思うと、そうじゃない気もする。
もしかすると、私の様子から何かを察して嫌な予感でもしていたのかな…。

「詩織ちゃんは入らないの?」
「ふふっ、3人一緒じゃ狭いでしょ? 私はあとで入るよ」
「でも……」
「いいからいいから」
「ほら真由美っ、早く入りましょ!」
「う、うん」
おがちんに半ば強引に手を引かれた真由美ちゃんは、ちょっぴり困り顔でこちらを見る。
それに苦笑いで応えながら、私は脱衣所まで真由美ちゃんたちを案内した。
用意してあったお客さん用のタオルをふたりに渡す。
さっさと服を脱ぎ始めたおがちんとは正反対に、真由美ちゃんは私たちの目が気になるのか、
控えめに上着のすそに手を伸ばすばかりだった。
「じゃ、じゃあ、詩織ちゃん。お風呂借りるね」
「うん、ボディソープとかシャンプーとか好きに使っていいから」
「ありがと……わ、ちょ、ちょっとおがちん」
「なにモタモタしてるの真由美、脱ぎにくいなら手伝うわよ?」
「い、いいってば、だいじょうぶだから…自分で脱ぐってば」
「……」
じゃれ合うふたりの声を背に私は脱衣所を出て、ひとり2階の自分の部屋に戻った。
ぱたんとドアを閉める。
「ふう……」
溜息が出るのも無理はない。
私はトボトボと力ない足取りで机の方に向かうと、椅子に深く座り込んだ。
もう。なんて意気地なしなの、私…。
佐藤くんを相手にしているときはなりふり構わずアプローチ出来るのに、
真由美ちゃんに対しては心のどこかでブレーキを掛けてしまう。
それはたぶん……おがちんに勝てる気がしないからだよね。
3人で居るときに、それを思い知らされるのが怖いからだよね。
はあ。
「私も……真由美ちゃんと一緒にお風呂入りたかったな」
そんなふうに口に出して言ってみたりもしたけど、現実は何も変わらない。
「……」
私はふと思い立って、机の一番下の段の引き出しに手を伸ばした。
ずっと前にその奥にしまい込んだきり、自分でも忘れかけていた、あの写真立て。
それを手に取って見つめてみる。
写真の中心で微笑んでいるのは真由美ちゃん。久しぶりに見た、そのぎこちない笑顔。
……ねえ、真由美ちゃん。
心の中で問いかける。
「真由美ちゃん、一緒に入ろ!」
もし私がそう言ったとしたら――おがちんに言われた時と同じ顔をしてくれたのかな?
照れくさそうな、でもこみ上げる喜びを抑えきれない、あのはにかみ顔を…。
けれど、何度イメージしてみても、私には思い描けなかった。
目を閉じてみても、思い浮かぶのは、笑顔の真由美ちゃんとおがちん。
そこに私はいない。
……今頃、ふたりで洗いっことかしてるのかな。
その光景を想像して、不意に胸がドクンと高鳴る。
バカ、何を考えてるの…。
湯煙が漂う淡いクリーム色の光の中、絡み合うように密着するふたつの白い肌。
その姿を私と真由美ちゃんに置き換えて思い描くのは、そんなに難しいことじゃなかった…。

しばらくして賑やかなはしゃぎ声が、階段を上る足音と一緒に近づいてきた。
いけない。
私はそそくさと身繕いすると、写真立ても見つからないように本棚に挟んでおいた。
ああ、もう。ヘンな汗かいちゃった。早くシャワーを浴びて、全部洗い流さなくっちゃ…。




お風呂上り。
私が髪を乾かして部屋に戻ると、真由美ちゃんはまだペンを片手にテーブルに向かっていた。
便箋とにらめっこしていたかと思えば、くるくるとペンを回しながら遠い目で考え込んだり。
チラッと見ると、丁寧な字が便箋の下の方までつづられていた。
だいぶ書き進んでいるけど、見た感じ、締めくくりの言葉で苦戦しているみたい。
一方おがちんはと言うと、
「ふんふ〜ん♪」
と上機嫌な様子で、寝そべりながら足をパタパタと遊ばせていた。
しおり245_1
「ねえ――」
ようやく書き終えたのかペンを持つ手を止めて、真由美ちゃんが言った。
「思ったんだけど……佐藤くん、私たちの名前わかるかなー?」
「……」
どういうこと…?
真由美ちゃんの言葉の意味を理解するまでにほんの少しの間があって、次の瞬間、
私の心には自分でもゾッとするような考えが浮かび上がっていた。
おがちん。楽しそうに、鼻歌なんか歌いながらくつろいでいるおがちん。
その癖のある黒髪がウェーブを描く背中を、冷めた目で見下ろしながら私は思った。

おがちんには悪気なんてない。おがちんは何ひとつ悪くない。
それくらい、私だって分かってる。
でも……だから、なんだ。
だから、許せないの。
おがちんは無邪気に、ただ自分らしくしているだけで、私が欲しいものを手に入れてしまう。
何も知りませんって顔で、私が独り占めしていたはずのものを、私から奪っていってしまう。
何の自覚もなしに。
そんなのズルいじゃない。
だから。
「あっ」
これは、悪意。
ただの八つ当たり。
それ以外のなんでもない。
一瞬の葛藤はあったけど、でもそんなことはおくびにも出さない。
しおり245_2
「じゃあ、この間撮ったプリクラ貼っておこうよ!」
私の言葉を聞いた真由美ちゃんが、「えっ?」と驚きで見開いた目をこちらに向ける。
すがるように私の動きを追う視線を背中に感じる。でもお構いなし。
私は大事にしまっておいたプリクラを机の引き出しから引っ張り出すと、ふたりの前にかざした。
おがちんに見せつけるように――でもあくまでさりげなく。
しおり245_2
「この時、楽しかったよね〜」
「(しっ、詩織ちゃん!)」
慌てて私とおがちんの間に割って入り、小声でたしなめてくる真由美ちゃん。
でも私はそれを無視した。
だって、ね……忘れたの? 真由美ちゃんも同じ罪を分かち合った共犯なんだよ?
慌てふためく真由美ちゃんとは対照的に、
「へぇ…それ…いつ…」
途切れ途切れにそう口にしたおがちんは、いつになく声に元気がないように思えた。
「詩織ちゃん寝よ、もう寝よ」
結局真由美ちゃんに押し切られて、私は私たちの犯した罪の証拠品を机にしまった。
真由美ちゃんは少し恨みがましそうに私に目をやりながら、ずっと表情を曇らせていた。
……やっぱり怒ったのかな。
でもおがちんには悪いけど、正直言って、ちょっとだけ私の気は晴れた。
そうだよ。おがちんも気付けばいいんだよ。思い知ればいいんだよ。
お兄さんにも、真由美ちゃんにも無条件に愛されているおがちんには分からないかも知れないけど、
少なくとも私にとってそれは、当たり前に手に入るものじゃないんだから。

しおり245_3
雨音と寝息が混じる夜更け。私は眠れずにいた。
ベッドの上で身体を起こして、すうすうと静かに息を立てているふたりに目を向ける。
三つ編みを解けば腰まで届く長い黒髪のおがちんと、背中までのセミロングの真由美ちゃん。
こうして並んで横になっていると姉妹のようにも見えて、ちょっぴり微笑ましい。
夢の世界にいる真由美ちゃんの無防備な横顔は、知り合った頃のようなあどけなさが残っていて、
その清らかささえ感じる寝顔から私は目が離せなくなっていた。
そしてさっきのことを思い出す。
結局、そういうことなんだよね。
私は真由美ちゃんの気を引きたいだけなんだ。
だから当てつけみたいに、あんなことをしてしまう。
そうすればそうするほど、真由美ちゃんの心は遠ざかっていってしまうかもしれないのに。
佐藤くんみたいに、ただ好きだと言えればどんなに楽なんだろうね…。
それから時計の針が11時を回る頃、遠くでとどろく雷の音で目が覚めたのかな、
真由美ちゃんがわずかに身じろいだ。
そして稲光がカーテン越しに部屋の中を照らし、ベッドの上の私の姿を映し出すと、
真由美ちゃんは眠そうに目をこすって見上げてきた。
「ね……寝ないの?」
「何だかドキドキして眠れないよ〜〜」
……言えるわけないじゃない。
真由美ちゃんの寝顔を見つめていたなんて。
だから私は半分だけ本心を言って、スッと視線を脇に逸らした。
これ以上、私の心の内側を覗きこまれないように。
真由美ちゃんはたまたまその視線の先にあったラブレターを見て何か勘違いしたみたいで、
寝ぼけているおがちん相手に何か話し始めた。それはそれで構わなかったんだけど…。
やっぱり分かってもらえないんだよね。
でもしょうがないよね。
何も言わずに分かってほしいなんていうのは、ただの甘えなんだもの…。




しおり245_5
雨上がりの朝、私たちは揃って私の家を出た。
まだ道のところどころに残る水たまりを避けながら、学校へ向かう道をたどる。
いつもと同じ、3人で歩く通学路。
そう、いつもと同じ。何も変わらない。
昨夜の出来事でこれまでの私たちの関係が変わることは、きっと、ない。
おがちんは相変わらず色んなことに無頓着だし、真由美ちゃんはそれを心配する真由美ちゃんのまま。
そして私も……巡り巡って、結局同じところに戻ってきてしまったのかもしれない。

ふたりから少し遅れて歩き、その不揃いな背中を見ながら思う。
変わらない私たちの関係。
誰かが変えようとしなければ、変わらない関係。
でも、もし。
もし、だよ?
私と佐藤くんが付き合うことになったら、しょうがない隊はどうなるのかな…?
そのときのことを想像してみる。
おがちんは許してくれるのかな?
真由美ちゃんは友だちでいてくれるのかな?
そして私は…?
佐藤くんが好き。その気持ちは変わらない。ずっと同じ。
だから私もそうなることを望んでいるはずなのに。
でも…。

「詩織!」
「あ……」
顔を上げると、いつの間にか私の周りには誰もいなくて、道の先でふたりがこちらを振り返っていた。
「どーしたの? そんなにのんびり歩いてたら朝の日課に間に合わないわよ!」
「どこか痛めたの、詩織ちゃん?」
「う、ううん。なんでもないよ〜。ちょっと靴の中に石が入っちゃって」
ふたりの元に小走りで駆け寄る。ひんやりした朝の空気が頬をかすめていく。
立ち止まっていたふたりに追い付き、真由美ちゃんの隣に並ぶ。
やっぱり私の居場所はここみたい。
「ごめん、急ごっ。佐藤くんが来る前に机のチェックしなくちゃ」
「そーよ! 急ぎましょ!」
「うん!」
しおり245_6
ダイヤのクイーンは強烈な熱情の持ち主。
威勢とエネルギーに満ち、いつも、心はせかせかと絶え間なく動き、蓄財、出世、
他人支配のために計画、策略を考えている。
ひとたび、悪と結びつく時は、とてつもなく大きな害を与え、ずる賢そうに見えて、
しばしば判断を誤る。
かっとなり、燃え上がり、軽率に動いたり、注意散漫な自分の性格に悩まされる。
赤い炎が好きで、炎のようにすぐ燃え、消えるのも早い。

『How to Tell Fortune with Cards by Wenzell Brown』より(※)
(※)「Alice in Tokyo」様より引用させていただきました。

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