みつどもえのルーツを探る(その④)

絵柄について

のりお先生の絵柄の変遷は巷でもたびたび話題になっています。
まずは『みつどもえ』以前の時代を、時系列に沿って追いかけてみましょう。
そーじの時間1 こちら彼女、校門前1
デビュー当初の2作『そーじの時間』と『こちら彼女、校門前。』より。
『そーじの時間』は短時間で描き上げた投稿作であり、ちょっと雑なのは致し方ありません。
この頃は『浦安鉄筋家族』のほか、地下沢中也(『パパと踊ろう』)あたりとの類似性を
指摘する(ネガティブな)意見も見られました。
ですが先達の影響を受けつつも、いずれは自分のスタイルを見つけて磨き上げていく……
それが個性というものでしょう。そして未熟なぶんだけ成長する余地もあるのです。
子供学級1 子供学級2 こちら彼女、机の下1
お次は『子供学級』の1巻と4巻を比較。
この間、約1年。『子供学級』時代は特に「巧くなった」という印象はなかったのですが、
こうして並べてみるとその差は一目瞭然です。のりお先生も連載当時の巻末コメントで
「『子供学級』単行本2巻、発売中!! 画力の進化がうかがえる一冊!!」
と仰ってますし、連載を通じてご自身の上達ぶりを実感していたのでしょう。

3枚目は『こちら彼女、机の下。』。同じキャラでも上にある『校門前』の頃と比べると
かなり進境が窺えますね。全ページお見せできないのがまことに残念ですが、(※1)
キャラは下手すると『みつどもえ』の序盤よりも可愛く描かれているくらいです。
そもそも「のりぺぃじ」にアップされた比較的古めのイラストをご覧いただければ分かるように、
のりお先生は元々可愛い絵を描きたくても描けなかったというわけではありません。
もしかすると『子供学級』以前は、ドタバタギャグに必要な「勢い」を絵においても重視した、
あるいは作画時間の都合(1話12ページだった)などもあったのかもしれませんね。

(※1)「2005年9月25日増刊号」のバックナンバーを入手するなり、図書館で見るなりして、ぜひご一読を。

みつどもえ1 みつどもえ2
ここまで『みつどもえ』以前の絵柄の変遷について見てきましたが、皆さんもご存じの通り、
これはのりお先生の”進化”のほんの序の口に過ぎません。
この件についてはいずれもっと長いスパンを対象に取り上げてみるつもりですが、今回は
さわり程度にその脅威の成長力の片鱗を見ていくことにしましょう。
みつばの場合
みつば1 みつば2 みつば3 みつば4
コミックスでは修正されていますが、当初のみっちゃんは黒目でした。(※1)
他にも前髪がぱっつんになったりと、外見的な面では三つ子の中で最も試行錯誤が
繰り返されたキャラだと言えるでしょう。私は絵心マイナスなものでうまく言えないのですが、
個々のパーツを寄せ集めてみても、いざみっちゃんらしく描こうとすると結構難しい気がします。
そういう意味でのりお先生の絵の個性が、一番はっきり表れているキャラなのかもしれません。
ふたばの場合
ふたば1 ふたば2 ふたば3 ふたば4
初期の『みつどもえ』を文字通りパワフルに引っ張ったのが、ふたば。
キャラクターとしての完成は比較的早く、今見てもビジュアル的な違和感は少なめですね。
それでも正式連載昇格後の14卵性「ふたばの教室」あたりから、イノセントガールとしての
色合いが強くなり、特に4枚目の16卵性「パパと踊る前夜祭」ではそれが顕著。
やたらと気合いの入った作画で、無垢で可愛らしい女の子に描かれていたのが印象的です。
ひとはの場合
ひとは1 ひとは2 ひとは3 ひとは4
おや…? ひとはは意外なほど変化がありませんね~。
それだけのりお先生の中でも、デザインがしっかり固まっていたということでしょうか?
デフォルメ時のジト目の場面も多いので、なおさら違和感がありません。
とはいえチクビや松岡さんとの出会いを通して、最も内面の変革がもたらされたのはひとは。
表情も徐々に豊かになり、それと共にどことなくあどけなさが混じっていくようになります。

(※1)コミックスでも3卵性にその名残(修正漏れ?)があります。

作風について

その②でも触れたように、デビュー当初ののりお先生は『浦安鉄筋家族』の影響を受けており、
言うなればそれをより先鋭化させたような作風でした。
動きや勢いに重きを置き、パロディや小ネタを次々と繰り出していくギャグ漫画の本流。
そこに流血や暴力といった風味で味付けをしたのが、当時の「のりおテイスト」です。
この傾向は『みつどもえ』にも引き継がれており、特に1卵性2卵性で顕著ですね。
当時の巷の感想を見た感じでは、やはり従来の路線を踏襲した「主人公の矢部っちが、
三つ子に振り回されるドタバタギャグ」という印象が強かったようです。
のりお先生自身も、これこそが自分の土俵だという自負があったのではないでしょうか。
みつどもえ3 みつどもえ4 みつどもえ5
初期のエピソードで目立つドタバタシーンの数々。

しかしその一方で、のりお先生の胸中には新たな気持ちが芽生えていました。
新連載を迎えるにあたって、それまでの「自分の殻」を破るひとつのチャレンジ。
それは一度内定していた連載がご破算になったことも影響していたのかも知れません。
『みつどもえ』創作のきっかけを問われたのりお先生は、こう振り返っています。

「とにかく可愛い女の子を描きたい!というのは最初からあって」
「欲望に忠実に描いた方がいいんだというのを学びました」
(月刊サイタマニアより)

「可愛い女の子を描きたい」という「欲望」を閉じ込めてきたもの。
思うにそれは固定観念だったのではないでしょうか。
作品の勢いを殺しかねない「可愛い女の子」は、ギャグ漫画に相応しくない…という。
あるいは萌え的な要素を取り込むことに、照れのひとつもあったのかもしれませんね。

今まで信じて築き上げてきた自分のスタイルを崩すリスク。
それを考えれば、迷いやためらいも少なからずあったに違いありません。
ですが先生は敢えてこの路線転換に挑みました。
そしてその挑戦が実を結んだのが、3卵性「乳首券大人買い」です。
それまでの「ドタバタ劇の桜井のりお」のイメージを覆す、ネームとキャラクター性
重視した一遍。漫画家としてのターニングポイントとも言えるエピソードでした。
3卵性1 3卵性2 3卵性3
ひとはのキャラを生かしつつ、「チクビ」ネタひとつで練り上げた絶妙なネーム。

巧みなネームと魅力的なキャラクター。
その後の『みつどもえ』を支えるふたつの幹柱は、こうして根を下ろしました。
その破壊力は、もしかするとのりお先生の想像をも超えるものだったのかも知れません。
喩えるなら、ひたすら直球勝負にこだわっていた投手が試しに変化球を投げてみた。
そうしたら変化球の騒ぎどころではなく、魔球の域に達する代物だった…そんな感じです。

かくしてずっと描きたかった「可愛い女の子」を最大限に生かすための下地は出来ました。
とはいえのりお先生も、まだこの路線に絞ってやっていけるか確信が持てなかったのか
6卵性あたりまではドタバタ風味も残っていました。
しかし読者の反応も良かったのでしょう、7卵性9卵性では明らかにキャラクター性に
フォーカスする方向へ舵を切っていきます。
さらに3回目の短期連載となった10卵性以降で、その方向性はより明確なものとなりました。
10卵性1 10卵性2 10卵性3
10卵性「仄暗い水のその辺」より。
7卵性で登場した松岡さんが再登板。振り回す側だった三つ子が、振り回される側に。
この路線を定着させた松岡さんの初期の功績は偉大です。あがめたまえ。
ほぼふたりの(噛み合わない)会話だけで成り立っているネームも素晴らしい。
11卵性1 11卵性2 11卵性3
11卵性「お父さんは心配性な不審者」より。
新キャラのパパと三つ子たち。ふたつの局面を同時進行させつつ、のちに定番となる
勘違いネタとしても成立させるという高度なネームが光ります。
このネーム作りはかなり苦労されたそうですが、それを感じさせないのはさすが匠の業。
12卵性1 12卵性2 12卵性3
12卵性「みつばと!」より。
ほぼ全編がみっちゃんの独り相撲という、異色中の異色エピソード。
それまで他のふたりに比べるとキャラが弱かったみっちゃんが、このエピソードによって
一気にその魅力を開花。『みつどもえ』の顔としての立場を確立することになりました。

そして14卵性「ふたばの教室」において、まるで従来のドタバタスタイルに決別するかのように
その路線の継承者であったふたばが「拳を封印する」と宣言。
こうして根底に流れる「浦安イズム」の魂を受け継ぎながらも、もはや誰にも真似できない
――魅力あふれるキャラクター・練り込んだネーム・可愛らしいビジュアルが絶妙に絡み合う
のりお先生だけの作風が編み出されていったのです。

最後に、技術的な面にも軽く触れておきましょう。
今でこそ『8ページのマエストロ』の誉れも高いのりお先生ですが、かつてはブログ上で
こんなことを仰っていました。
2006年06月17日
全体的に少しネタを細かく詰め込みすぎなようです。
もっと大事な部分を大ゴマでしっかり主張し、
メリハリのついたお話作りが課題ですね。

ああ・・・すごく基本的な事ですのに・・・。
見開きでインパクトを与えたり、大ゴマやぶち抜きなどの技法を駆使したコマ割りで
時間的・空間的な緩急をつけられるのが、漫画という表現手法のアドバンテージです。
先生の仰る「メリハリ」がこれに当たりますね。
特に時間的な緩急をつけることは漫画が得意とし、映像表現が苦手とするところです。
皆さんはある漫画がアニメ化されたときに、思っていたテンポと違って違和感を覚えたり
妙に間延びしているように感じられたことはないでしょうか?
これは本来文法の異なる表現手法の「翻訳」がうまくいかなかったケースです。
漫画であればコマの見せ方ひとつで受け手の「脳内時間」をコントロールできますが、
映像では現実の時間の流れに制約を受けてしまうため、この翻訳作業は容易でないのです。

ところが『子供学級』時代ののりお先生は、こうした漫画の強みを生かしきれていなかった
ように思います。(←エラそうに…本当にスミマセン)
私が『子供学級』を読み返して感じたのは、コマ割りにあまり工夫が見られないことに加え
「動き」にこだわる余り、全体的にワンペースになっているということでした。
そういう意味で『子供学級』は、実は多分にアニメ的な作りの漫画だったと言えるでしょう。

『みつどもえ』においては意識的にこの漫画独特の文法が取り入れられ、それによって
のりお先生の「漫画力」は飛躍的に向上しました。
そして連載を通じて磨き上げられてきた、現在の『みつどもえ』の漫画的な完成度の高さは
改めて言うまでもありません。

あとがき的ななんか

4回に渡って『みつどもえ』のルーツを追いかけてきましたが、この記事を通じて
私が感じたのは、本当にたくさんの偶然が積み重なって今があるということでした。

もし中学時代の友人からの言葉がなかったら。
もし上尾のイトーヨーカドーに画材店がなかったら。
もし「興味本位で」チャンピオンに投稿しなかったら。
もし幻の連載作がそのまま連載されていたとしたら。

どれひとつ欠けていても、今の『みつどもえ』は存在しなかったに違いありません。
多くの偶然。そこに漫画家を志したひとりの女性の強い意志と才能が加わって、
ひとつの奇跡のような作品が生まれたのです。
単なる偶然に意味や名前を与えるなど愚かしいとリアリストは笑うかもしれませんが、
私はこれを敢えて「運命」と呼びたいと思います。
運命なんだよね
ほら、吉岡さん(の生き霊)もこう言ってることですし…。
きっと『みつどもえ』が存在しない並行世界もあるのでしょう。
もしここにいる自分がその世界の住人だったとしたら…そんな想像をするだけでゾッとします。
『みつどもえ』に出会えてよかった。そういう運命を選択した自分でよかった。そう思います。

以下の文献より引用しました。
・月刊サイタマニア(埼玉新聞2010年5月30日号)
これはひとりごとの範疇なの?
「みつどもえのルーツを探る」の完結編「その④」です。

短期集中連載を重ねていた1~13卵性の頃は、のりお先生が作品の方向性について
あれこれ模索していた跡が窺えます。
ぜひ皆さんもお持ちの『みつどもえ』1巻を開いて、一緒に振り返ってみましょう。

その①  その②  その③  その④

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